pIntEn 6章まで翻訳完了
pIntEn 6章まで翻訳完了
2022-01-20
COVID19で「漫画喫茶に行って翻訳する」というルーチンが壊れて、そのまま止まっていた
過去のメモを振り返る
日付で区切るのは適当ではない
なぜこのタイミング2019-05-22で分割したかというとpIntEnの作成がこのタイミングだったから これはなぜ作ったか
「5章までできてるから並行してレビューしてもらおう」とやった結果、英語でのコミュニケーション、人によって異なる修正方針の修正断片のハンドリング、で頭が混乱してScrapboxに置こうとした
そりゃ混乱するだろ…プロジェクト管理能力低いのになんでそんなアクロバットをやろうとするのか、馬鹿なのか?馬鹿なんだろうな…
翻訳とレビュー対応の複数タスクの負荷で混乱してるところに深圳ツアーとRegroupの発表という「締め切りのある緊急タスク」がかぶさって、こちらのプロジェクトが吹っ飛んだ
その後、気を取り直して再開しようとしたところでCOVID19でまた吹き飛んだ
振り返り考察
レビュアーのコメントに対応することと、6〜7章を翻訳することでは、翻訳することの方が重要
しかし人間と直接的なメッセージのやり取りをしたことでリーズナブルな時間で返答を返す必要が生じて「緊急タスク」になってしまった 今後のタスク
6,7章の翻訳
これが一番重要
6,7章の組版
重要?ひと段落したい気持ちはある
Scrapbox Readerで読めるようにする
組版と電子書籍としての出版よりもこちらが重要
Scrapbox上でのより良いネットワーク構造へ
これは興味ある、ただし完了の定義が不明瞭
2022-01-21
どうやって目次を作ろうかとか脇道にそれてしまう
グッと堪えて翻訳をとりあえず1ポモドーロ
6.2.4
物理的に形を持たない抽象概念を身体感覚に落としていくと、たとえ話が生まれることがよくあります。抽象概念が現実に形を持たないので、現実に存在する別のものにたとえるわけです。たとえ話は、水面下のまだ言語化されていない身体感覚や経験が、言葉を一般的でない使い方をすることでかろうじて言語化されたもの、ととらえることができます。
If you drop an abstract concept that does not have a physical shape to a physical sensation, a parable tends to be born. Since an abstract concept does not have a form in reality, it can be compared to another existing thing in reality. In parable stories, it can be thought that body sensations and experiences that are not yet linguished under the water are barely linguisticized by using words that are not common.
物理的な形を持たない抽象的な概念を、物理的な感覚に落とし込むと、たとえ話が生まれがちです。抽象的な概念は現実に形を持たないので、現実に存在する別のものと比較することができる。たとえ話においては、水面下ではまだ言語化されていない身体感覚や体験が、一般的でない言葉を使うことでかろうじて言語化されていると考えることができる。
えー…
抽象概念は物理的な形を持たない。われわれがこれを具体的な身体感覚に近づけていくと、しばしばたとえ話が生まれる。
なぜか。抽象概念は物理的な形がないため、身体感覚で捉えられない。これを身体感覚で捉えようとすることによって、物理的な形を持った物をその概念の代わりに使うようになる。
たとえ話では、言葉を一般的な意味とは異なった意味に使う。この一般的でない使い方によって、あなたのまだ言葉の形になってない経験が、かろうじて部分的に言葉の形になる。
Abstract concepts do not have a physical form. When we bring them closer to concrete physical sensations, they often give rise to parables.
Why? Because abstract concepts do not have a physical form, they cannot be captured by the physical senses. By trying to grasp them with our physical senses, we come to use objects with physical forms in place of the concepts.
In parables, words are used to mean something different from their common meaning. By this uncommon use, your experience, which has not yet taken the form of words, barely partially takes the form of words.
Grammerlyに6.1.2.3の内容が貼りついたままだったけど、これ途中だったかな??
翻訳されてるように見えるが。
出典を書くっていうTODOがついてた
以前翻訳してた時と比べて状況がだいぶ変わったからやり方を変えてもいいかも
Grammerlyは品質向上の手段なので後回しで良い
日本語をGoogle翻訳した英文はある
これをDeepLで日本語に戻したときに意味のわかる日本語にならないなら良くない訳文
+前の絵の創造性を引き出す実験では、植物のたとえや、核融合のたとえが出てきた。ヤングはまた、アイデアの創造過程を珊瑚礁に例えた。青い海の中に突然美しい珊瑚礁が現れる。アイデアも唐突に現れる。サンゴ礁は、海の中の無数の小さなサンゴ虫によって作られる。アイデアもまた、意識の下で進行する無数の小さな営みの最後の果実である。
畑作業
The process of growing and harvesting crops in a farm.
- また、たとえば工業製品と自然界に存在する物の間のアナロジーのように、遠い分野のアナロジーが行われたときには、製品の新規性が高くなることがわかりました
+ また、たとえば工業製品と動物のような遠い分野のアナロジーが行われたときには、製品の新規性が高くなることがわかりました
-メタファ(隠喩)は、厳密にはたとえ話であることを明示しないたとえ話のことです。「アイデアを温める」は隠喩で、「アイデアは卵のようだ。生み出された当初は動かないが、温めることでヒナになり、自分で動き始める」は直喩ですが、本章での話にこの区別は重要ではないので「たとえ話=メタファ」だと思ってもかまいません。
+メタファ(隠喩)は、厳密にはたとえ話であることを明示しないたとえ話のことです。たとえば「アイデアを温める」は隠喩です。「アイデアは卵のようだ。生み出された当初は動かないが、温めることでヒナになり、自分で動き始める」は直喩です。しかし、本章での話にこの区別は重要ではないので「たとえ話=メタファ」だと思ってかまいません。
-この手法は直接的には他人を相手とした手法ですが、参考になる概念がいくつかあります。本章での「抽象概念、身体感覚、メタファ」という3分類は彼らの主張を参考にしました。
for what...
+この方法は、直接的には他人を相手とした手法であるが、自分自身からメタファーを引き出すのにも有効である。
カウンセリング心理学者のDavid Groveが作り出した...彼らの主張を参考にしました。
彼らは、...
「ら」が誰なのか不明瞭だな
Symbolic Modellingの方の作者を指してる
人ではなく「この本では」と出典を指すか
ここの部分、既存の和訳では「どんな種類の」と訳されてるけど、実際に日本人に使うと「種類!?」となることが多い。
Keichobotでは「どんな〜ですか?」に変えた。
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特に❶と❷が重要です。例えば、相手が「鳥の声」と言ったとき、"その鳥はどんな鳥ですか?"と聞くことができます。
相手が「アヒルの声」と答えたら、「鳥の声」という抽象的な概念がより具体的になる。
そうやって、どんどん掘り下げていくと、どんどん視野が狭くなっていくんです。そこで、「アヒルについて、他に何かありますか」と聞いて、視野を広げることができます。
例えば、彼/彼女は "実家で飼っている "と答えました。 アヒルの周辺情報を得ることができました。
鳥の声」と「実家で飼っているアヒルの声」では、比喩の明確さが全く違う。
場所の問いに関して、もっと例があった方が答えやすいのかもしれない。
創造性がチームのものだと考えてる例を先に挙げている。
例えば「その『創造性』はどこにありますか?」と聞かれて「私の頭の中にある」と思ったなら、それは「あなたの頭の中にあるから他のチームメンバーは見ることができない」
「チームメンバーの間にある」となったら
「それは個々人が持ってる考えとは一致しないかもしれない」とか「新しくチームメンバーになった人の中にどうやって入れるか」と派生する。
---
と❹はほぼ同じことを聞いています。彼らは比喩の位置に注目したのです。
それらの問いには、Xは抽象的な存在ではなく、ある場所を占める具体的な存在であるという偏見が含まれていると思われます。この偏見が、抽象的な概念から物理的なメタファーへの変化を促している。
例えば、「創造性」は明らかに抽象的な概念である。あえて問おう。あなたの創造性はどこにあるのか?少し考えてみてください。ある人は頭だと言い、ある人は指先だと言うでしょう。個人的な比喩ですから、人によって違うのは当然です。
(6.2.3.1)絵を描く]でいくつか例を示しました。あるデザイナーは、創造性は最初は脳の中にあって、やがて脳の外に広がっていくと考えています。また,あるデザイナーは,創造性はチームメンバー間に存在すると考えている。
"創造性はどこにあるのか?"と聞かれたとします。 もしあなたが "It's in my head "と考えたら、それは他のチームメンバーがクリエイティビティを直接見ることができないことを示唆しています。もし、あなたが「メンバー間にある」と考えたなら、その創造性はメンバー一人ひとりの思考と一致していない可能性があることを示唆しています。
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残り44ページ。
正解に辿り着くまで時間がかかってしまったが、「英訳であろうが関係なくこのプロジェクトに置く」が正解だった
さっそく2017年に書いた書籍中の記事と2021年に読んだものとが結合した
seedlingが適切そう
2022-01-23
-ここまで、言葉にできているものとできていないものを氷山にたとえて、抽象概念から身体感覚、メタファへと掘り下げ、水面に近付いてきました。水面に一番近いものは何でしょうか?私は違和感だと考えています。この節では暗黙知の概念と、それとコインの裏表の関係である違和感について解説します。
ここまで、言葉にできているものとできていないものを氷山の水面より上の部分と下の部分にたとえた。
山頂付近にある抽象概念から、水面近くにある身体感覚、メタファへと進んで、水面に近付いてきました。
水面に一番近いものは何でしょうか?私は違和感だと考えています。この節では暗黙知と違和感について解説します。暗黙知と違和感はコインの裏表の関係だからです。
推敲ページに書くのは整理された形
まずここに書く、後で整理する
-Michael Polanyiは、問題の解決に迫りつつあることを感知する感覚を「暗黙知」(tacit knowing)と呼びました。人間には、問題の解決に近付いているか、近付いていないかを感知する非言語的能力があり、それがいまだ発見されていない言語的な知識を発見するために活用されている、という主張です。
Michael Polanyiは、人間には、問題の解決に近付いているか、近付いていないかを感知する非言語的能力があると考えた。また、その能力がいまだ発見されていない言語的な知識を発見するために活用されていると考えた。この能力によって感じられる、問題の解決に迫りつつある感覚のことを、彼は「暗黙知」(tacit knowing)と呼んだ。
-哲学者Plato(プラトン)は著書『メノン』 注32 の中で、もし何を探し求めているかわかっているなら問題は存在しないし、もし何を探し求めているかわかっていないなら何かを発見することは期待できない、と記しました。知識の探索は、行方不明の財布を家の中から探し出すのとは違います。見つけたいものが何であるのかが明確に言語化できたら、それはもう答えを手に入れているのです 注33。
哲学者Plato(プラトン)は、もし何を探し求めているかわかっているなら問題は存在しないし、もし何を探し求めているかわかっていないなら何かを発見することは期待できない、と著書に記しました*32。知識の探索は、行方不明の財布を家の中から探し出すのとは違います。見つけたいものが何であるのかが明確に言語化できたら、それはもう答えを手に入れているのです
この「問題の解決に近付いている感覚」を表現する良い言葉を私は発見できませんでした。Polanyiの提案したtacit knowingの訳語は「暗黙知」ですが、2017年現在「問題の解決に近付いているかどうかを感じる感覚」と「まだ言語化されていない経験的知識」の2通りの意味があり、後者の意味にとらえている人が多いように思います。
この「問題解決に近づく感じ」を表現する良い日本語が見つかりませんでした。暗黙知の一般的な訳語は「あんもくち」です。しかし、2017年現在、「ANMOKU-CHI」の意味は2つあります。一つはX、もう一つはYで、多くの人は後者の意味を使っています。
Empirical knowledge that has not yet been verbalized
Personal Knowledge: Towards a Post-Critical Philosophy
ルネ・デカルトは1644年の著書『哲学の原理』の中で、方法論的懐疑論を提案している。
それ以来、西洋哲学では「自分が当たり前だと思っていることを疑う」という言語的思考プロセスが重視されるようになった。
イマヌエル・カントは、この疑い(批判)こそが哲学の最も重要な仕事であると考えた。
彼は1781年から1790年にかけて『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』を出版している。ポランニーの本のタイトルにある「批判哲学」という言葉は、このような哲学を意味している。
-経営学者の野中郁次郎は、1996年に著書『知識創造企業』 注4 で、Polanyiの考えを踏まえて知識を暗黙知と形式知に分け、これに知識が個人に存在するのか組織に存在するのかの次元を加えて、組織内での知識創造について議論しました。Polanyiの関心は科学者個人の知識創造にフォーカスしましたが、野中郁次郎の関心は組織内での知識創造です。
経営学者の野中郁次郎は、1996年に「知識創造企業」という本を出版した。
ポランニーの思想に基づき、知識を暗黙知と形式知に分類した。そして、知識が個人に存在するのか、組織に存在するのかという次元を追加した。それは、組織内での知識創造を論じるためである。
ポランニーの関心が科学者個人の知識創造にあったのに対して、野中の関心は組織内の知識創造であった。
-みなさんも、このような「違和感」を経験したことがあるかと思います。しかし、理由を言語化できていないため、何か劣ったもののようにとらえて、軽視している人が多いのではないでしょうか。しかし、むしろ逆で、違和感はまだ理由が言語化できていない、言語化されるべきものがそこにあるという、重要な兆候だととらえたほうがよいでしょう。
みなさんも、このような「違和感」を経験したことがあるかと思います。
しかし、理由を言語化できていないため、何か劣ったもののようにとらえて、
軽視している人が多いのではないでしょうか。
しかし、むしろ逆です。
違和感はまだ理由が言語化できていない、言語化されるべきものがそこにあるという、重要な兆候だととらえたほうがよいでしょう。
みなさんも、このような「違和感」を経験したことがあるかと思います。
しかし、理由を言語化できていないため、何か劣ったもののようにとらえがち。
軽視している人が多い。
しかし、むしろ逆です。
違和感は言語化されるべきものがそこにあるという、重要な兆候。
まだ理由が言語化できていない、は、今後言葉になる
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2022-01-24
TAEは14ステップからなる複雑な方法論なのでここでは詳細には説明しません。この手法を開発した哲学者Eugene T. Gendlinらは、「まだうまく言葉にできていない、しかし重要だと感じる、身体的な感覚」を「フェルトセンス」という名前で呼んでいて、便利なのでこの本でも採用することにします。
TAEは14ステップからなる複雑な方法論なのでここでは詳細には説明しません。
この手法を開発した哲学者Eugene T. Gendlinは、「まだうまく言葉にできていない、しかし重要だと感じるもの」を「フェルトセンス」という名前で呼んでいます。
この概念に名前のハンドルがつくと指し示すのに便利なので、この本でも採用することにします。
この概念に名前をつけて指し示すことは有用なので、本書でも「フェルトセンス」という言葉を採用することにする。
この概念に名前をつけておくと、それを指し示すハンドルとして使えるので便利です。
そこで、本書でも「フェルトセンス」という言葉を採用することにする。
第四版以前は
「まだうまく言葉にできていない、しかし重要だと感じる、身体的な感覚」
と書いていたが、整理した。
「まだうまく言葉にできていない、しかし重要だと感じるもの」の「もの」は、私が日本語でカジュアルに説明する時には「モヤモヤ」と表現している。
身体的な感覚
モヤモヤ
これ、補足説明がないと手前とのつながりがわからないのでは?
うーむ
もちろん「違和感」「暗黙知」との関連でここにあるわけなのだが
一旦保留して先に進むか?
私が特に興味深いと感じたのは、辞書を使うステップです。短文の中の重要そうなキーワードを辞書で引き、辞書の説明と自分が言いたかったことを比較します。短文に書かれている単語は、自分の中のうまく表現できないフェルトセンスに仮に当てた単語なので、辞書の説明と比較すると多くの場合何らかの食い違いがあります。その食い違い、つまり違和感に注目します。
TAEで特に面白いと感じたのは、辞書を使うというステップです。
まず、自分の感覚を表現した短い文章の中から、重要なキーワードを選びます。
そして、そのキーワードを辞書で引きます。
その後、辞書の説明と自分の言いたいことを照らし合わせます。
短文に書かれた言葉は、自分の中でうまく表現できないフェルトセンスを一時的に指し示すものです。
だから、多くの場合、辞書の説明とは、どこかズレがある。
そのズレに着目してみましょう。
https://gyazo.com/fc0a1ac0899dab0cd596e32675f6748f
たとえば、私は「頭の中に歯車があって、ときどき高速に空回りする。この状態でほかの歯車とかみわせると歯が欠けてしまうから速度を落とす必要がある」というメタファを持っています。あるとき、この「速度を落とす」が世の中でいうところの「瞑想」なのではないか、と思い付きました 注37。
例えば、私はある喩えを持っています。
私の頭の中に歯車があります。
その歯車が時々、他の歯車と噛み合わないことがある。
その場合、私の頭の中の歯車は高速で回転しています。
もし、その歯車を他の歯車に噛み合わせたら、歯車の歯が無くなってしまう。
だから、ギアの回転を遅くする必要があるんです。
ある時、この「減速」が世に言う「瞑想」なのではと思った。
---
ところが、瞑想を辞書で引いてみると「目を閉じて深く静かに思いをめぐらすこと」と書いてあり、強い違和感を持ちました。私が「瞑想」という言葉で表現しようとしたフェルトセンスは、目を閉じる必要はありません。また「思いを巡らす」という表現も、何かを回そうとしていて、回転を遅くするイメージに合いません。この説明文の中で私にしっくりきた言葉は「深く」と「静かに」だけです。
しかし、その感覚は辞書の定義と一致しない。
そこで、「瞑想」という言葉を辞書で引いてみた。
目を閉じて、深く静かに考えをめぐらせること」とある。
強い違和感を覚えた。
私が「瞑想」という言葉で表現しようとしたフェルトセンスは、目を閉じる必要はないのです。
また、「思考をめぐらせる」という表現は、何かを回転させようとしており、回転を遅くするイメージとは一致しない。この辞書の記述では、「深く」「静かに」という言葉しか受け入れられませんでした。
つまり、「深く」「静かに」というのが、私の感覚を表す言葉としてしっくりくるのです。これは、「スピードを落とす」に相当するようです。逆に、「深く」「静かに」の反対語は、「高速で回転している」ことに対応するはずです。
"音を立てて回転しているのか?"
"deeply "の反対語は何でしょう?浅い」?高い」?
どちらも違和感がある。
浮いている』や『地に足がついていない』はOKです。
以上のように思考を展開する。辞書でキーワードを引き、比較し、「違和感」に着目することで、言いたいことが明確になる。
+日本語には「頭の回転が速い」(=賢い)という慣用句もある。この慣用句は、たいてい良い意味である。しかし、この慣用句は悪い意味に解釈することができると私は考えている。
publicの概念
「公表された」ではないんだよなぁ
私有のものではなく共有のもの
commonとかsharedの方が近いのか?
何かがpublicである、という表現をDeepLは「公開されている」と訳してくる
「語られつつある言葉」はこの一塊で意味
speaking language / spoken language
primary mode / secondary mode
sometimes repeated in terms of spoken and speaking language (le langage parlé et le langage parlant) (The Prose of the World, p. 10). Spoken language (le langage parlé), or secondary expression
言葉には、公共の言葉と私的な言葉がある。
本文でメルロポンティの「語られつつある言葉」を使うのをやめよう。
自分の語りつつある言葉で表現したかったものと、辞書に書いてあるその言葉で一般的に表現されるものとを比較することで、自分の言いたいことがなんなのかをより明確化するわけです。似たものを比較することで理解を促すことの一例と言えます。
この暗黙の参照、たぶん読者に伝わってないよな
+語られたばかりの言葉は私的な言葉であるから、あなたはそれが他人に伝わるかを気にする必要はない。
A philosopher Maurice Merleau-Ponty argued that personal private "speaking language" become shared public "instituted language". By using the instituted language multiple people can communicate. But at the creation of words, it is not instituted.
---almost rewrited
言葉には「公の言葉」と「私的な言葉」の2種類があります。
アリスとボブという二人の人間を考えてみましょう。辞書に載っている言葉の定義は、共有された公的な言葉である。それらは、複数の人がコミュニケーションするために制度化されたものです。つまり、これらの言葉は、アリスとボブの共通領域にある。
一方、今アリスが話した言葉は、アリスの私的領域にある。そのため、ボブがアリスの期待通りの意味を感じるかどうかはわからない。
今話した言葉は私的な言葉なので、他の人に理解されるかどうかを心配する必要はありません。
同時に、今話した言葉は私的な言葉なので、それを他人に伝えるには、より良い表現に磨き上げる必要がある。
言葉であれ、アイデアであれ、【苗】のあとに育てなければならないのです。
哲学者のモーリス・メルロ=ポンティは、個人的な私的な「話す言葉」が、公的な「制定された言葉」として共有されることを主張しました。制定された言語を使うことで、複数の人がコミュニケーションをとることができる。しかし、言葉の生成の時点では、それは制定されていない。
---
next
2022-01-26
カードを並べている最中に、あなたは「このカードをこのカードの隣に置くのは何か間違っている気がする」と感じたりする。
I wrote about KJ method in X and Young's method in Y.
In those method we write information on the card and then arrange those cards.
As you are arranging the cards, you often feel that there is something wrong with putting this card next to this card.
KJ法では、"ここが良さそう "とカードを並べた後、"こう並べる理由は何だろう?"と自分に問いかけます。
シンボリック・モデリングにも似たような問いがあった。それは、"XとYの関係はどうなっているか?"というものです。あるいは、"XとYは同じか違うか?"ということです。
最初は、まだ書かれていないカード同士の関係を表現します。
まだ言葉になっていない関係性が、観察可能な存在になっているのです。
その関係性の表現について自問自答することで、それらが言葉になることを促します。
最後に、関係性を説明する短い文章を書き、それを名札にして、カードを束ねます。
川喜多二郎が「カードを分類してはいけない」と言ったのは、このためだと思うんです。既存の分類基準に従ってカードを並べた場合、「このように並べる理由は何か」という問いに対して、既存の分類基準で答えることになります。
まだ言語化されていないものを言語化することを促進する効果はない。
これがKJ法の一番大事なところだと思います。
初めてKJ法をやる人に、KJ法を教えたことがあります。
カードを並べるときに、すでに言語化されている理由を使う人が多いのです。
正しい場所はどこですか」という質問も言語化して聞いてきます。
初めての人にとっては、自然に出てくる質問なのです。
しかし、言語化された理由を使うと、KJ法の有用性が損なわれてしまう。
これはあなたの中のまだ言葉になってないものを言葉にすることを支援する手法です。正解をあなたの外に求めても、決して見つかりません。
見出し、割と激しく変わった
KJ法も違和感に注目→Use disconfort to arrange cards
考察
紙の書籍として書いている時、読者が頭から順に読んで、手前の文章で書かれたことは読者の頭の中に入っていると強く仮定している 一次元読書の仮定 紙の本であってもこの仮定は正しくない、読者は休み休み読むかもしれないし、パラパラめくるかもしれない
Scrapboxのページにすると「頭から順番に読む」という経路以外で来る人のことを思う
ので「ここまでで書いたように」とか、それすら言わずに共通のキーワードを出して頭の中でつながるだろうと暗黙に思ってることとかを明示的に繋ぐ必要性を感じる
I wrote about KJ method in (5.2.3) Make related things close and Young's method in (6.1.2.1) Young's method to make ideas. In those method we write information on the card and then arrange those cards.
連想のストックだな。読者の中で連想が発生することを暗黙に期待していたが、それを明示するようになった -身体感覚や経験、違和感に注目することが大事です。それらはまだ言葉になっていません。言葉にしようとすると、たとえ話やメタファの形になることがよくあります。出てきたばかりの言葉は、説明なしでは人に伝わらないかもしれません。でも、伝わらないことを恐れる必要はありません。他人に伝わらない私的な言語でもよいので、まず自分の中から取り出し、書き留めて消えないようにして、それから人に伝わる形に改善すればよいのです。たとえ自分にしか伝わらないものであっても、言葉は取っ手であり、あったほうが操作がしやすくなるのです。
体の感覚、体感、違和感に注目することが大切です。
それらはまだ言葉になっていない。
言葉を作ろうとすると、たとえ話や比喩のような形になることが多い。
今出てきた言葉は、説明しないと人に伝わらないかもしれません。
しかし、怖がる必要はない。
自分の思いをまず自分の外に出し、それを書き留めて消えないようにし、それを人に伝わる形に改良していけばいいのです。
たとえ自分だけの言葉で書かれていても、その言葉がハンドルとして機能し、それらが自分の思考を操作しやすくしてくれるのです。
-身体感覚や経験、違和感に注目することが大事です。それらはまだ言葉になっていません。
まだ語られていないことに注目することが大切です。
例えば、体の感覚、経験、違和感など。
一方で「鳥の声」の例のように、取っ手である言語から、具体的な身体感覚が外れてしまっていることもよくあります。
ハンドルとなる言葉と具体的な経験が切断されている
一方、「鳥の声」の例のように、ハンドルが具体的な体験と切り離されていることもよくあります。
一方、「鳥の声」の例のように、ハンドルが具体的な体験と切り離されていることもよくあります。その場合は、身体感覚や体験まで降りていって、ハンドルと再び結びつける必要があります。ここでの目的は、「自分の中でまだ言語化されていないもの」と「言葉としてのハンドル」をつなぐことです。
つながりがないまま言葉を作っても意味がありません。それは根無し草のようなものです。すぐに枯れてしまいます。
-まず、アイデアをもとに、最小限の実装で製品を構築します。次にそれを顧客に見せて、反応を計測します。そしてそこから学習し、計測データをもとにアイデアを修正していくわけです。
まず、アイデアをもとに、最小限の実装で製品を作ります。そして、それをお客さまにお見せして、反応を測ります。そして、測定データから学習し、学習に基づいてアイデアを修正します。
注41 一方でEric Riesのこの主張は、顧客候補が無数にいて何度でも繰り返し実験ができることが前提です。たとえば評価者が1名で、その人に能力をアピールして仕事をもらおうと思っている場合、質が低すぎると次のチャンスがないかもしれませんね。かける労力と評価される可能性のトレードオフです。
これは繰り返し実験が可能な状況と、一回しか挑戦できない状況の違いです。実験科学の方法論は繰り返し実験できる状況が前提です。
一回しか挑戦できないなら、採択される可能性とアピールに掛ける労力のトレードオフの中で、難しい意思決定を行う必要があります。
Crystallizing is a state where ideas are crystallizing.
www
また、あなたが作ったものが便利な道具だとします。しかし、それは人に使ってもらわなければ価値を生まない。道具単体に価値があるのではなく、道具とユーザーで構成される上位システムにおいて、道具とユーザーの相互作用によって価値が生まれるのです。道具という人工物だけでなく、それをどう使うか、それを使うための概念を表す言葉、使い方を教えること、言葉、これらが組み合わさって価値を生み出すのです。
「価値のあるものを提供したのにユーザが見返りを返さない」的な思想のおかしいところがこれに語られてるな
価値を判断するのは顧客であるし、顧客との相互作用のシステムをつくり出すのは作り手の責務
3つに分割されていると、各フェーズを順番に一度だけ通るように誤解されるのではないかと懸念したからです。
プロトタイピングでは、「何をつくるか」がすでに結晶化されている必要があります。実行するためには、何を埋め込むかをすでにプロトタイプ化しておく必要があります。しかし、多くの場合、プロトタイプの段階で「どう作るか」を結晶化し、パフォーミングの段階で「どう埋め込むか」を結晶化する必要があるのです。
(追加解説)
意見の違いは盲点に気付くチャンスです。自分の視点と食い違う情報を受け入れないSeeing状態を、U曲線モデルで紹介しました。これは自分の既存の枠にしがみついて、他者の視点での情報を受け入れていない状態です。
この状態を脱するために、相手がどう感じているのかの言語化を促し、それを吸収する必要があります。ここで、耕すフェーズで学んだ言語化の技術が再び有用になってきます。自分相手の練習で技術を磨いておき、他人との会話で意見が食い違ったときに使うのです。
意見の違いは、盲点に気づくきっかけになる。自分の視点と矛盾する情報を受け入れない場合、それはU理論のSeeing状態です。この状態では、自分の既存のフレームにしがみついて、他者の視点からの情報を受け入れない。
Xで書きました。
この状態から脱するためには、他者の視点を理解する必要がある。理解するためには、他者の言語化されていない感覚を言葉に変換する必要がある。他人の頭の中にあるうちは、情報を理解することはできない。なるべく歪みのない状態で自分の中に取り込む必要がある。
ここでまた、耕す段階で学んだ言語化の方法が役に立つ。自分の頭の中から情報を取り出す技術を、自分で練習することができるのです。そして、そのスキルを使って、たとえ自分の意見が他の人と違っていても、他の人の心の中から情報を取り出すことができるのです。
昼間に散歩したら体調が良くて捗る
必要なのは散歩だったのでは
この「タイムマシン」は顧客の私的な言語です。顧客は何か表現したいものがあるのですが、それを表現するのに適切な言葉を知りません。そこで、彼が知っている言葉の中から、一番近そうだと彼が考えた「タイムマシン」がたまたま選ばれました。この「タイムマシン」はメタファなのです。
お客様は何か表現したいことがあったのでしょう。しかし、それを表現する良い言葉を知らない。そこで、自分の知っている言葉の中から「タイムマシン」という言葉を選びました。それが一番、表現したいことに近いと思ったからです。この「タイムマシン」は【比喩】です。この「タイムマシン」は、いま語られた顧客個人の私語です(それについては、「(6.2.5.5)公的な言葉と私的な言葉」で書きました)。
-顧客に質問した結果、顧客は大事なファイルをうっかり上書き保存してしまい、タイムマシンで過去に戻ってファイルを取り戻したいのだとわかったとします。彼は「タイムマシン」という言葉で、上書きしたあとで上書き前のファイルを入手できるようにする道具を表現したかったわけです。一方で、これをプログラマーの言葉で言えば「自動的にバックアップを取って、必要なときに過去のファイルを復元できるしくみ」となります。顧客は自動バックアップという概念を知らなかったので、自分の知っている単語の中は「タイムマシン」が一番近そうだと考え、選択したわけです。
お客様にお聞きした結果、お客様が意図せず大切なファイルを上書きしてしまい、過去に遡ってファイルを取り戻したいということがわかりました。
必要なのは「上書きする前のファイルを取り出す方法」。それが、その人の言葉で言う「タイムマシン」です。
一方、プログラマーの言葉で言うと、それは「自動的にバックアップを取り、必要な時に過去のファイルを復元するソフト」である。お客様は「自動バックアップ」という概念を知らないので、「タイムマシン」を選んだのである。
-一つは、伝わりにくかったところを直したり、ソフトウェアを改善したり、というPDCAサイクルを回すことです。今のアイデアを、より大きく育てていこうというアプローチです。
一つは修正(Adjustment)です。ドキュメントやソフトウェアを修正することで、顧客価値を改善していこうとするアプローチです。これは今のアイデアを温存し、PDCAサイクルを回して、磨き上げていこう、というやり方です。
-知識分野は数個だけあるのではなく、無数にあります。知識分野には明確な境界はありません。知識分野は独立しておらず、ある分野を学ぶと、近い分野の知識量も上がります。知識分野は固定的なものではなく、日々新しく増えています。これを表現するためには、滑らかにつながった、閉じた円環ではないものを使うのが適切です。
知識分野は数個だけあるのではなく、無数にあります。知識分野には明確な境界はありません。知識分野は独立しておらず、ある分野を学ぶと、近い分野の知識量も上がります。
これを表現するには数本の軸の値で表現するのではなく、明確な軸がなく滑らかに繋がった分布図が好ましい。
知識分野は固定的なものではなく、日々新しく増えています。
これを表現するには閉じた円環ではなく開いた直線を使う方が適切です。
追加
もし「ブルーオーシャン戦略」を読んだことがあれば、シルクドソレイユの戦略マップを思い出すと良い。競合他社のビジネスと自社のビジネスを比較する上で、比較軸は固定ではなく新しく生み出される。この新しく生み出される軸のことを暗黙に無視しているなら、それは盲点である。
第四版加筆は英訳の底本より後なので後で反映する必要がある
英語版を静的配信したら、Analyticsでどの国から読まれているか確認する
学ぶことを自分の外のものを自分の中に取り込むこと、アイデアを生み出すことを自分の中のものを外に出すこと、この2つは逆向きのことだ、と考える人も多いでしょう。
日本語だとなんとなくわかってしまうので書いてしまったが難しい構文だ
Many people think of learning as bringing something outside of yourself into yourself.
And they also think of creating ideas as bringing something inside of yourself out.
They think learning phase and creating phase are opposites.
学ぶということは、自分の外にあるものを自分の中に取り込むことだと考えている人が多いのではないでしょうか。
また、アイデアを生み出すことは、自分の中にあるものを外に出すことだと考えています。
学習する段階と創造する段階は相反するものだと考えているのです。
しかし、そうではありません。アイデアが生み出されるプロセスを、耕すフェーズ、芽生えるフェーズ、育てるフェーズの3つに分けると、耕すフェーズは情報収集、育てるフェーズは検証と密に関連していました。情報収集と検証は、学びのサイクルで紹介した要素ですね。学びとアイデアの創造は、逆向きのことではなく、ほぼ同じことなのだと私は感じています。つまり、アイデアが芽生える瞬間に起きることは、新しい結合であり、異なるものの間の関連の発見であり、パターンの発見であり、モデル化であり、抽象化なのです。
いやー、これは説明足りないだろ
「情報収集と検証は、学びのサイクルで紹介した要素」で、
だから「アイデアの創造プロセス」だと思っているものは実のところ「学習のサイクル」である。
だから「アイデアの芽生え」と呼ばれているものは、新しい結合であり、異なるものの間の関連の発見であり、パターンの発見であり、モデル化であり、抽象化なのだ